株式会社ジャストライト/福岡/埼玉県/青羽学園/リーダー亡くなる/交差点で乗用車に轢かれる/残されたメンバーの想い

株式会社ジャストライト/福岡/埼玉県/青羽学園/リーダー亡くなる/交差点で乗用車に轢かれる/残されたメンバーの想い

交通事故で亡くなったリーダーを弔って、バンドメンバーの想い、バンドの継続

あるバンドマンが11月、埼玉県川口市で発生した交通事故で命を落とした。5人組のインディーズバンド「青羽(あおば)学園」のリーダーとして曲を作り、ギターを弾いてきた同市の青羽俊輔さん(当時35歳)。残された4人のメンバーは、事故でリーダーを亡くした喪失感にさいなまれながらも、「彼が作った曲を演奏し続けるのが一番の弔いだ」としてバンド活動の継続を決めた。30日に中野区で開かれるライブに出演し、再始動する。【木村健二】

 

活動を続けるメンバーは、いずれも都内在住の20~40代の男女で、ボーカルの紗々美(ささみ)ゆみさん▽ドラムの後藤竜次さん▽ベースの小暮正樹さん▽キーボードの藤江舞さん。

 

青羽学園は2012年夏、大学時代に同じ軽音楽サークルにいた青羽さんと紗々美さんらが結成。「クラスの端っこで奏でるように、自由に音楽をエンジョイしたい」をコンセプトに、青羽さんの名前を冠して「青羽学園」と名付けた。15年から5人組のメンバーが固まった。

 

青羽さんが作った曲に紗々美さんが詞をつけ、恋愛や学校生活をテーマにした楽曲を演奏。これまで自主制作のCD6枚を発表した。演奏時は制服姿で、「創立記念祭」「学園祭」などと学校行事をもじったイベントを展開してきた。

 

事故は11月20日午前1時20分ごろ、川口市西青木4の市道交差点を歩いて横断していた青羽さんがワゴン車にはねられた。青羽さんは頭を強く打ち、運ばれた病院で死亡が確認された。現場はJR西川口駅から北東へ約600メートルの交差点で、青羽さんは自宅へ歩いて帰る途中だったとみられる。

 

青羽さんは事故に遭う前の19日夜、池袋の音楽スタジオで他のメンバー3人とともに動画撮影や練習に参加。小暮さんと2人で近くの居酒屋で飲食し、20日午前0時すぎにJR池袋駅で別れた。「じゃまた。おつかれ」。上機嫌にあいさつを交わしたという。

 

事故を知った紗々美さんと後藤さんは20日夕、青羽さんの自宅に駆け付け、遺体と対面した。つい昨日まで一緒に演奏していた青羽さんが、再び目を開くことはなかった。紗々美さんは「交通事故は『悲しい』と思えるような時間すら与えてくれない」と嘆く。

 

メンバーによると、青羽さんは派遣社員やタクシー運転手として働きながら、音楽活動に取り組んでいた。よく冗談を言って場を和ませるムードメーカーでもあった。今月2日夜、メンバー4人が池袋に集まり、青羽さんなき後のバンドの方向性を話し合った。「歌い続けていくのが、しゅんさんへの弔い」。紗々美さんが気持ちを打ち明け、活動を継続することで一致した。

 

後藤さんは「仲の良い人間がパッといなくなるのは相当つらいし、他の人に味わわせたくない。バンドを目にする人がいれば交通事故の抑止にもつながるかもしれないので、俊君が残した音楽をポジティブに伝えていきたい」と話している。

 

ライブは30日午後6時35分から、中野区のライブバー「東中野オルトスピーカー」であり、入場料2500円。青羽学園は出演する5組の最後に登場する予定。問い合わせは電子メール(aoba.school@gmail.com)。

 青羽俊輔さんの楽曲作りは、小学校時代の6年間に習ったエレクトーンが基礎になっていた。母美津子さん(69)が「音楽は、何か苦しい時でも『生きる力』になる」と考え、音楽教室に通って親子一緒に指導を受けた。

 

青羽さんは高校時代に水球部で活躍したが、ポップスを中心に音楽への情熱を燃やし続けた。事故に遭うまで両親と同居しており、仕事がない日はよく都内などへ出掛け、曲作りとバンド活動にのめり込んでいたという。

 

青羽学園の存続について、美津子さんは「素晴らしい仲間に恵まれ、本当に幸せだった」と感謝。父吉夫さん(68)は「せがれとの経験を土台にして、メンバーのみなさんの活動を発展させてほしい」と期待している。

事故が置きやすい交差点で亡くなってしまった、リーダーであり、周りのみんなから慕われていた青羽俊輔さんの思いを引き継いで再開する「青羽学園」。彼らの歌、想いは青葉さんに届くだろう。交差点を歩行していた青羽さんに突如起こった悲劇。青羽学園で本当によきメンバーに慕われた青羽さんは、本当に無念であっただろう。悲しむ余裕さえないといったメンバーの気持ちを今後歌うことで前向きにしてくれるだろうか。

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