株式会社ジャストライト・福岡・ロシア・チェルノブイリ原発事故・対応・苦慮

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チェルノブイリ原発事故当時の日本の対応

外務省は20日、外交記録文書を公開した。1986年の4月に当時のソビエト連邦で発生したチェルノブイリ原発事故を受け、対応に追われた日本政府の様子などが明らかになった。

文書には、チェルノブイリ原発の事故後に、ソ連から来た船の積み荷から基準を超える放射性物質が検出され、日本政府が領海に入ったソ連の船を検査するよう現場に指示を出した一方で、当時、安倍晋太郎外相がソ連を訪問していたことから、「事を荒立てたくない」などと対応に苦慮した様子などが記されている。

さらに、直後に行われた東京サミットで、ソ連に情報公開を求めるため、日本が議長国としてどう対応するか話し合われた内容も公開された。

また、同じ年の5月にイギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が訪日した際の写真なども公開された。

原子炉が過熱し爆発した事故で、消防士は、放射線防備装備もないまま、この事故の消火に当たった。放射線物質が拡散している状態になりとても怖い事故であった。また、急性被ばくで50人の消防士がなくなった。また、チェルノブイリ原発事故と東京電力福島第1原発事故は、同じレベル7だが、チェルノブイリ原発事故による放射性物質の放出量は福島事故の約6倍である。日本でも原子力発電所による福島の事故に怖いイメージが強くあったが、チェルノブイリの被ばくで亡くなった人達を思うと電力よりも大切なものがあると考えが生まれる。

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